ヒキニートの法学 #4

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裁判員制度のPRに上戸彩が起用されていたころ

筆者が実際ヒキニートだったのは2007年2月から7月までです。このころのTVは松本潤主演ドラマがあったりしていました。上戸彩が「裁判員制度!はじまるよ!」とか元気よく裁判員制度をPRしていたのもこの時期だったと思います。

ゆとり教育と同じですぐに過ちに気づくと思った

たとえば自動車運転中に危ない目に遭ったひとが、「俺が超反応しなければ死んでいた」と思っていたとして、まさにそんなようなシチュエーションで老夫婦が死亡した事件の裁判員になったら、感情に逸って「死刑にしろ!」と言ってしまうかもしれないですし、逆に意地悪なひとだったりして玄人ぶって「こういうときはああいう証拠がないとだめだろう」とか言っちゃったりするかもしれないですよね。

しかしこれで少しは賢くなるだろう

筆者は我が国がまた間違えたと思ったし、そのうえで「そろそろこういう真似にも懲りるだろう」と独りでほくそ笑んでいた。上戸彩は嫌いではなかった。筆者なりに上戸彩からは心なしか鋼鉄の本性を感じていた。強そうな人は何人も見てきたが「鉄」っていうカテゴライズはぶっちぎり上戸彩だな。

国家の大計を担った

ギャラは知らないがここまで滑れない仕事もまずないのに、確か同時期に某携帯電話のCMにも出ていた気がするから本当に凄いよなと思う。まあリアルな話すると、要するに公明党が不退転の決意だと明確な人選だったんだよな。その二年後の政権交代がリセットする最初で最後のタイミングだったな。

家族観念を持ち出されると困る

最後に真面目な話をします。たとえば埼玉県で父親に殴られた息子がいて、大阪にとんで逃げた後、大阪で訴えを起こしたとしましょう。ここで大阪で生まれ育った人の家庭と、埼玉で生まれ育った人の家庭は絶対に家族観念からして異なってくるわけですよ。もちろん大阪のなかでも家庭によって違いは出てくるんですが、そのせいでなおわるく「そんな家はねーよ」と言われたりするじゃないですか。家庭によって違いがあることなんて当たり前に知っているぞと。しかし彼らが知っているのは大阪の家庭なんですよ。自信満々に「正しい」だの「正しくない」だの言ってくると思います。裁判に日常の常識を取り入れるって、そういうことも含まれてきちゃうでしょ。裁判員自身の家族観念と照らして、たとえば父親が息子にしたことが真っ当だと共感できる、できないが、すんごい極端にでてきたりして、あるわけじゃないですか。どうなんですかね、裁判員裁判になる要件ってすごく曖昧に国民に伝わってるけど、うまくやってくれてるんだろうけど、結局どうなんだろうなって思いますよそこんとこ含めて。

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