状況証拠だけではいけない
物的証拠がないといけない。漫画やドラマでよく聴く台詞だが、最近筆者はこれを解明した。自由民主主義のためだ。我が国の政治政党、自由民主党のためという意味ではない。つまり多様な利益集団が代表者を立てて政党政治を行い、議会議員の長が行政の長である我が国の民主主義の定立に不可欠であることを筆者は気づくことができた。
見てます、やってます
ある企業が超高性能マイクロスコープ監視カメラ(仮称)を研究開発(発明)して人工衛星に搭載したとします。その企業の社長は日本中の犯罪を目撃します。状況証拠だけで摘発できるようだと、社長は一国の事実上の「裁きの王」です。社長の一存で犯罪者と善良な市民を区分けできるようにもなってきてしまうのではないでしょうか。
特定利益集団が権益を牛耳ってしまう
社長を中心とする利益集団(企業と利害関係の一致しているほどその中枢である)が、裁きの権限を握るわけですから、自由民主主義の実現は困難になります。これが政策与党、つまり国民主権の名のもと公明正大な選挙によってえらばれた民選の議会議員の集団とは限らなくなるわけですからね。
自分たちが困らなければいいやになる
そもそも王という考え方は間違っている。私たちが困らないでしょう。王と臣民が合計100人だったら、どこへ行っても椅子は100席でよいと言っているようなものです。私たちの王国が成立するためには、王と臣民だけがいる状態が一番安定だ(そりゃそうだ)。
みえてくるもの
たとえば魔物がいて、魔族を形成していたとします。魔物たちと交易する必要のある人とない人がいたとき、不必要な人たちの王国が不意にできてしまったとしましょう。これは魔族にも一抹の責任がある、「魔族」に喩えましたが、要は自分たちを必要とする人々に対して一定の苦役があったり、その多様な人的基盤を組織する求心力がなかったりするのかなと思います。王の成立にはすべての権力に大なり小なり原因があると思いました。そこまで気が付きました。